なぜ やわたんまちでは神輿や山車が集結するの?

八幡宮境内入祭 安房神社・洲宮神社

「やわたんまち」って聞いたことがありますか?
鶴谷八幡宮例大祭、つまり「八幡の祭り」が変化して地元ではこのようによばれています。
13基の神輿や山車が集結し、毎年10万人以上もの人出でにぎわう安房地域最大のお祭り。
今回はこのお祭りの歴史や見どころについて調べてみました。

(2012/09掲載:K)

八幡神社の歴史を知ろう!

鶴谷八幡宮

祭りの話に入る前に、まずは鶴谷八幡宮の歴史などを追ってみましょう。
鶴谷八幡宮の前身は安房の国の総社でした。総社とは複数の神社の祭神を合祀した神社のこと。国、郡、郷でそれぞれ「総社」がありましたが、国の総社はおよそ平安時代末期までに国々の府中に創建されたとみられており、国司が祭祀を行うための社でした。総社が置かれる以前は、国司が国内の神社を巡拝する習わしでしたが、それが不便ということで逆に神社を1カ所に集めたのが総社の始まりです。
安房の国の総社は現在の南房総市府中(旧三芳村府中)に鎮座していたもので、創建は757年と伝えられています。平安時代は国司の力が強かったのですが、武家政治が始まった鎌倉時代には国司の権威が弱まり総社に対する崇敬の念も衰えていきました。こうして安房の国の総社は現在の場所に遷座されます。祭神は応神天皇(品陀和気命 ほんだわけのみこと)とし、名前は鶴谷八幡宮と改変されました。

鶴谷八幡宮 初代後藤義光作『百態の龍』

源頼朝が鎌倉に幕府を開いた際、清和源氏の氏神である石清水八幡を鎌倉に勧請して鶴岡八幡宮を整備したのですが、これによって八幡信仰は各地に急速に広まっていきました。鶴谷八幡宮は、鶴岡八幡宮との類似点から頼朝が遷座し造営したという話も伝わっていますが、実際のところは定かではありません。もう少し後の時代、建保元年(1213)には源実朝が造営したという記録が残っており(大永の『社記』)、さらに時代を経た里見氏のころになると、義道、義弘、義康が社殿を造営するなど、代々の里見当主の崇敬を集めることになります。徳川時代を経て明治の「神仏分離令」によって別当寺(神社を管理するための寺)が廃されると那古寺と分離。郷社を経て昭和15年には県社に。現在へと至ります。

1000年に渡る伝統的なお祭り

山荻神社

では「やわたんまち」はどのように起こったのでしょうか? その昔、総社において国司自らが司祭したのが総社の祭りで、これがやわたんまちの起源とされています。一般的には全国の総社には6社、あるいは8社が合祀されていましたが、このことから六所祭りともよばれます。鶴谷八幡宮においては、安房神社、洲宮神社、下立松原神社、手力雄神社、山宮神社、山荻神社、莫越山神社、木幡神社の8社によって六所祭りが行われていたようです。この祭りが始まった時期は定かではないものの、山荻神社に伝わる祝詞や手力雄神社などに残る文書などから、およそ延久年間の1070年ごろと推測されています。

高皇産霊神社

この六所祭りの伝統が現在の「やわたんまち」につながってくるのですが、江戸時代以降に、高皇産霊神社、(たかむすびじんじゃ)と子安神社の2基の神輿が加わるようになりました。また、天保10年(1840)ごろには北条の三軒町、南町、六軒町、神明町の各山車と、新宿のお船がこの祭りに加わるようになります。つまり「やわたんまち」は、神輿が集う祭りであると同時に山車・お船の祭りでもあるのです。

放生会(ほうじょうえ)、府中の市としての一面も

山車の競演

いっぽう、全国の八幡神社の祭祀においては「放生会」が併せて執り行われていました。これは殺生を戒める仏教の秘事による儀礼であり、鶴谷八幡宮においても北条海岸でこの放生会が執り行われていました。大正の中ごろまで、出祭した神輿が鏡ヶ浦に渡御していましたが、現在は八幡宮の神輿のみがお浜出し、神幸祭を執り行っています。また、遷座以前の総社の祭りのころより俗に「府中の市」とよばれる農具市が開かれていました。これは遷座後、さらにはのちの時代にも続き、現在でも祭りの期間中は境内周辺に多くの露店が出店し、賑わいをみせています。

子安神社

このようにさまざまな側面をもつ祭りが渾然一体となったのが現在の「やわたんまち」です。従来「六所祭り」あるいは「放生会」は旧暦の8月15日前後に行われており、やわたんまちは明治以降9月14日からの3日間にかけて執り行われるようになります。14日が宵祭(よいまち)、15日が本祭(ホンマチ)、16日が過祭(スギマチ)といい、平日、週末に関係なく行われていました。それが14日、15日の2日間になり、さらに今では移動祝祭日となった敬老の日の直前の土曜・日曜の2日間に開催されるようになりました。日程を変更することは神社側としては苦渋の決断だったようですが、祭りの参加者を確保するためにはやむをえない事情がありました。この盛大な祭りは平成16年に、「安房やわたんまち」として千葉県の無形民俗文化財に指定されています。

祭りの主な流れ2日間!

例年、敬老の日の前の週末の土日(以前は9/15,16の固定日だったが、最近は週末の土日開催になった)の2日間ということになります。まずはそれぞれの神輿や山車の動きを追っていきましょう。

1日目(時間は目安です)
神輿
9:30 安房神社・洲宮神社の神輿が奉幣式(新宿神明神社)
13:00~16:00 10社の神輿が順次入祭(八幡宮境内)

山車・お船
13:30~ 5台の山車・お船が合同引き回し(海岸無料駐車場~神明町神明神社)
15:00  合同引き回し神明神社社殿前に整列
16:00 祭典
16:45 順次退出・新宿神明神社へ
19:30 南町交差点から新宿踏切の間で5台の競演
20:00 新宿神明神社で解散式

2日目(時間は目安です)
神輿
17:00 10社の神輿が順次ご還御(八幡宮境内)
18:00 八幡宮の神輿のお浜出・神幸祭(商工会議所前)
18:00~20:30 安房神社・洲宮神社など六軒町諏訪神社にて休憩

山車・お船
13:00 館山消防署前に集合。八幡宮へ
14:45 年番を先頭に順次到着
15:00 祭典
16:00 順次退出
18:30 館山駅東口に集合。5台の競演によるクライマックス
20:00 年番渡しの儀、解散

そのほか、八幡宮境内では次のような神事が執り行われます。

1日目(時間は目安です)
17:00 六所祭
20:00 三芳・八幡太鼓の奉納

2日目(時間は目安です)
4:00~6:00 出祭各神社朝祈祷
11:00 安房国司祭・祭典

大まかなスケジュールは以上のようになります。
市内中心部全域に渡って山車・お船、神輿の姿を見ることができますが、最大のみどころとしてはやはり八幡宮の境内とJR館山駅東口でしょうか。

八幡神社境内 神輿の競演

境内のみどころとしては、まずは1日目の神輿の入祭。各神社の神輿は参道を駈けながら境内に入り、境内では木遣りとともに、もみ・さしを繰り返したのち長宮(ながみや)とよばれるお借屋に納まります。八幡神社に出祭する神輿はどれも担ぎ棒が2本の「2本棒」と呼ばれるもので、それだけに左右の揺れはダイナミックであり、躍動感あふれる神輿の姿を見ることができます。複数の神輿による「もみあい」も時折みられ、息が詰まるような緊張感を味わっていただけるでしょう。

5台の山車・お船が集合

山車・お船では1日目は、夕方の南町交差点付近での競演が、2日目は八幡宮への宮入りが最初のみどころです。大鳥居前の交差点から勢いよく参道へと入り、大鳥居、二の鳥居をくぐって境内へと参入します。年番の山車を先頭に、境内に参入した山車は所定の位置へと移動し、人形をせり出します。すべての山車が揃うと人形をしまい順次退出。JR館山駅東口で最後の集合を果たし、太鼓や笛、鉦によるお囃子はクライマックスを迎えるのです。

今後のやわたんまちを考える

八幡宮境内に5台の山車・お船が集合

先にも述べましたが「やわたんまち」は時代とともに少しずつを形を変えつつも、古くからの伝統を連綿と受け継いでいます。最近の大きな変化といえば週末に執り行うようになったことですが、ある意味では仕方のないことといえます。やわたんまちは、さまざまな祭りの複合体でもあり、従来の神事の部分とイベントの部分が混在していますが、近年ではイベントの側面ばかりがクローズアップされる傾向にあり、祭りの参加者も見学者の興味もそちらに向いているのが現状といえます。
神輿や山車のパフォーマンスも、歴史を理解した上で見るとまた違ったものに見えるでしょうし、たとえば神輿や山車そのものに目を向けることで、新たな楽しみ方を発見することもできるでしょう。
館山市は他の多くの地方都市同様、若者の都会への流出が顕著ですが、祭りはこれら都会に出ざるを得なかった若者たちを地元に呼び戻す絶好の機会という側面ももっています。先人が築いた伝統をしっかりと守りつつも地域のさらなる活性化を促すための行事として、時代の変化と折り合いをつけながら少しずつ進化していくことを願ってやみません。

館山市のサイト

館山市商工観光課 やわたんまち基本情報


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