なぜ館山には南ヨーロッパ風の街並みがあるの?

JR内房線館山駅。
関東の駅百選に選定されたこの建物は、白い壁にオレンジ色の屋根瓦。
どうやら南欧風なのです。
さらに北条海岸へと続く駅の西側一帯にも、
同じような色合いの街並みが広がっています。
それにしても房総の最南端になぜ地中海の景観が?
街づくりの現状をちょっと探ってみました。

(2011/11掲載:K)

汽船から鉄道へ。観光都市館山の歩み

開業当時の安房北条駅
(館山市立博物館蔵)

駅周辺の景観を語る前に、まずは館山駅そのものの歴史から追ってみましょう。
館山の街が大きく変わったのは明治初頭。明治11年(1889)に東京と館山を結ぶ最初の汽船が就航したのがきっかけでした。さらに明治22年(1889)には東海汽船の前身となる東京湾汽船会社が運航を開始し、東京から館山までは5時間の船旅。これによって館山は保養地や海水浴場として脚光を浴び、館山桟橋や北条桟橋を中心に賑わいをみせます。
これからしばらく客船の時代が続きますが、大正7年(1918)になるといよいよ館山にも鉄道が開通。まずは那古船形駅(当時の那古町)が開業しました。現在の館山駅が開業したのはその翌年、大正8年(1919)のことです。当時の駅名は「安房北条駅」、路線は国鉄北条線とよばれていました。東京からの所要時間は4時間ほどで、これによって東京との距離が一気に縮まり、館山に観光の波が押し寄せることになります。
その3年後、大正11年(1922)に起こった関東大震災では館山にも甚大な被害が出ましたが、安房郡を挙げての復興がなされ、街は文字通り再建されました。昭和に入り第2次世界大戦の混乱期を経て、終戦後の昭和21年(1946)に安房北条駅は館山駅と改称。戦争によって一時衰退していた観光業はますます活発になっていきます。さらに昭和44年には電化開通。東京―館山間は2時間ほどに短縮されました。資料によると昭和43年度の館山駅の乗降客数は300万人以上。1日平均だと8000人以上にものぼります。2010年の1日あたりの乗客数が2000人あまりですので、この数字からも当時の賑わいが伺い知れます。こうして、駅周辺は南房総の中心地として大きく発展を遂げることになったわけです。

コラム「駅舎が現在の場所にできた理由」

開かれた西口へ! 再開発への布石

当時の館山駅は東側が表玄関。南北に走る目抜き通りを中心に商店が軒を連ね、賑わいをみせていました。海岸側である駅の西側といえば、大きな沼がぽっかりと口を開けており民家もまばら。東側に比べると完全に整備が遅れている状態でした。そんな状況のなか、昭和63年(1988)には市による西口地区土地区画整理事業がスタート。それと並行して館山市全体の開発方針が定められていきました。
まず、先がけとなったのが昭和62年(1987)に制定された「総合保養地域整備法」、通称「リゾート法」です。平たくいうと「自然豊かなリゾート地域を開発して、地域振興を図ると同時に国民が余暇を楽しめる場所を作りましょう」とするもので、全国42の地域が指定されました。千葉県においては「房総リゾート地域整備構想」が策定され、11の重点整備地区が設けられました。そのなかの1つが「館山サンシャインリゾート」地区で、鏡ヶ浦から平砂浦にかけての海岸線一帯が指定されています。


これによって館山市は「海洋性リゾートタウン」という方向性を明確に打ち出すことになります。そして平成元年(1989)には「館山市街並み景観形成指導要綱」が告示。ここでの目標は「暖かさ」「青い海」「緑の大地」「美しい花」を強調した街なみづくりです。北条海岸から西岬一帯、平砂浦海岸、富崎地区などが館山市街並み景観指導地区に指定されました。館山駅西口もこの地域に含まれています。

さて、この「街並み景観形成指導要綱」ですが、景観づくりのお手本となったのが地中海に面した南欧の街並みだったのです。自然を活かした明るい街並みを実現するため、屋根はオレンジ色、壁は白を基本色とし、海や空の青、木々の緑とのコントラストを強調すると同時に統一感のある街並みを目指しました。
こうした動きを受けて、平成3年(1991)に「館山駅西口地区街づくり協議会」が発足します。「住みやすく個性的な街」を目指して同会を中心にさまざまな研究がなされ、「温暖な気候」「海」「花」「緑」などの要素を活かしての南欧風の街づくりが提言されました。ここでの約束ごとは、おおむね次のようになります。

・屋根はオレンジ色のS瓦
・壁は白
・高い塀は造らずに生垣とする
・電柱は民有地内に入れる

これらを実現するため、S瓦の材質・色彩の検討から値引き交渉、潮風に強い樹木の研究、植栽実験などを重ねると同時に、安全・景観を考慮して無電柱化を市に要望。そのほか、いろいろな街並みのデザインを研究するなど、市民や行政の理解を得るためにさまざまに活動されたそうです。その結果、地区の9割近い人々が南欧風建物を建築し、表札や看板なども南欧風に改められました。一方、歩道、街路灯、案内板などにも南欧風のデザインが採用され、駅前ロータリーや夕映え通りでは無電柱化も実現するに至っています。

新駅舎も完成! リゾートタウン館山の顔に

この西口地区土地区画整理事業と並行して進められたのが館山駅の改修工事です。鉄道の開通以来、東口を中心に発展した館山駅周辺でしたが、市民の自家用車保有率の上昇に反比例するように次第に活気が失われることになります。決定的となったのは平成5年(1993)の館山バイパスの開通。これによって買い物客の流れがバイパスへと移り、駅前の商店街はすっかり元気をなくしてしまいました。そんななか、長年計画が進められていた新駅舎の建設工事がついに着工。西口再開発と呼応するように、ここでも南欧風のデザインが取り入れられ、平成11年(1999)に完成します。新駅舎の設計コンセプトは次のとおり。少々長いですが館山市役所のホームページから引用します。

海洋性リゾートタウン館山の海に開かれた新しい玄関口にふさわしく中心市街地のシンボルとなる施設とし、また土地区画整理事業を契機に創出されつつある駅西口地区の南欧風の街並みと整合した景観を持つ「リゾート駅の明るい雰囲気を持ったランドマークとしての風格」をデザインコンセプトとしている。外観は屋根と壁の大きさを強調し、内部は吹き抜けやトップライトによりゆとりのある空間を形成している。また、駅周辺市街地や鏡ヶ浦を望むことができるようにバルコニーを設けている。機能面については、高齢者や車椅子利用者等も利用しやすいようにエレベーター、身障者用トイレ、誘導ブロック、階段手摺りなどの設置や電車とホームの段差解消を行った。

この新駅舎は同年「関東の駅百選」にも選ばれ、今でもリゾートタウン館山の玄関口として堂々たる姿を見せています。
こうして誕生した新しい館山駅と西口の街並み。線路上に設けられた東西口を結ぶ通路は「館山駅オレンジロード」、西口前のロータリーは「西口なぎさ広場」、駅から北条海岸へと続く道は「夕映え通り」という愛称で親しまれています。また、この新しい西口は、地域性を配慮した美しいデザイン、市全体での景観への配慮、地域住民の積極的参加、さらには完成後も周辺との調和を図る取り組みを検討していることなどが評価され、平成12年(2000)には国土交通大臣による「手づくり郷土賞」を受賞しました。

コラム「海辺を彩るワシントンヤシ」

景観づくりには行政の介入が不可欠

館山駅西口の南ヨーロッパ風の街並みはこうして誕生したわけです。今回のケースでは行政の旗振りのもと、市民が積極的に参加することで統一感のある街並みづくりに成功しました。そもそも街の景観というものは、かじ取りする人がいないと統一感がなくなってしまうので、行政の介入は不可欠といえます。では行政にはどんな力があるのでしょうか?
まず自治体が定める「景観条例」について。この条例は国が定めた景観法と密接に結びついています。流れを簡単に説明すると、まず平成15年(2003)に国土交通省により「美しい国づくり政策大綱」が策定され、平成16年(2004)に景観法が公布されました。これが翌平成17年(2005)に施行されたわけですが、これによって従来は法的拘束力を一切もっていなかった景観条例が実効性をもつと同時に法的拘束力をもつことになったのです。それには、自治体は「景観行政団体」に認定される必要がありますが、館山市は安房地域で唯一その認定を受けています。

那須高原のコンビニ 2

那須高原のコンビニ 1

ここで各地の景観に大きな変化が出始めました。看板の変化です。看板は営利活動になくてはならないものですが、「目立つ」ことが第一命題であるという特性上、景観を損ねる人工物の代表とみなされています。特にチェーン展開する店では視認性を高めるために派手な色使いのものがほとんどですが、この派手な看板たちが、景観条例の規制を受けてデザインの変更を余儀なくされるケースがあるのです。たとえば原色のラインが細くなったり、赤が白に反転したりと、いくぶん派手さを抑えた色調へと変更されています。
自治体によっては「原色禁止」をうたうほど厳しいところもあり、黒、白、茶など、落ち着いた色調のみの看板に変化したものもあります。規制が厳しい自治体としては、古くからの街並みが残り、歴史的建造物が点在している京都市が有名ですが、それ以外にも栃木県那須町や福島県裏磐梯地方などのリゾートエリアにおいても、良好な景観への取り組みがみられます。
海洋性リゾートを目指す館山は、この色調までをマネをする必要はないのですが、行政のかじ取り加減ひとつでこんな街並みをつくることも可能というひとつの例として、紹介させていただきました。

南欧風vs純和風 その調和が今後の課題

ほんの数十年前まで、北条海岸一帯にはクロマツの防砂林が植わっていました。当時の人たちはクロマツの林を抜けて海水浴場へと向かったものです。それが、昭和40年代に入り、少しずつヤシの木にとって代わられました。当時植えられたヤシは現在のものとは違うカナリーヤシ。地元の方々の力で植えられましたが、ほどなくして全滅の憂き目にあってしまいます。はっきりした原因は分かっていないようですが、寒さによるものではなく葉の付け根に砂がたまってしまったのがいけなかったのでは、といわれています。
ヤシといえば南国のイメージ。折からのハワイブームを受け、日本の「温暖な」地域はこぞってヤシの木を植えました。並木だけ見ると異国情緒ただよいリゾート気分も盛り上がるのですが、なにせ館山は里見の城下町。古い建物は軒並み純和風ですので、両者の調和は少々難しそうです。
一方でこの南国情緒は観光客にいい印象を与えているのも事実。たとえば富浦IC出口から館山バイバスを南下し、館富トンネルを抜けるとすぐに目に飛び込んでくるヤシ並木。その風景を見て「この街に住みたい」と思った人もいるそうです。北条海岸に新たに誕生したヤシ並木も、今でこそ小さな若木ですが、あと数年で樹高20mほどに達し、また違った風景になるはずです。

ヤシの木はもともと南ヨーロッパにはなかったものだと思いますが、南スペインのコスタ・デル・ソルや南フランスのコートダジュールあたりのリゾートタウンでは、ヤシ並木が海岸線を彩っています。今やヤシ並木は、世界的にもビーチリゾートに欠かせないアイテムになったといってもいいでしょう。
現在の館山では、ヤシ並木も含めた南欧風の街づくりが進められる一方、里見城下町の名残を伝える和風の街並みも残っています。また、西岬、富崎地区には古くからの漁村のたたずまいも残っており、ちょっとしたノスタルジーを感じさせてくれます。次の景観計画ではこれらの特徴的な景観をどのように調和させるかが争点になりそうな気配です。
余談ではありますが、北条海岸の北側にある八幡海岸は『空手バカ一代』のモデルにもなった空手家、「牛殺し」で有名な大山倍達のドキュメンタリー映画が撮影された場所です。その際、大山六段は牛を殺しはしなかったものの、400kgもある巨大な牛の角をへし折り、牛との死闘を制するという歴史的偉業(!?)を成し遂げました。時は昭和29年(1954)1月。その舞台がまさにクロマツ林のある八幡海岸だったのです。当時の映像には、黒山の大観衆のバックに広がるクロマツの林がはっきりと映っています。

新しい街並みづくりに向けて

最近では平成23年(2011)に北条海岸のシンボルロード、愛称「鏡ヶ浦通り」の整備も終わり、海洋性リゾートとしての色彩はますます濃くなっています。ここでも市民が街づくりに積極的に参加しており、たとえば道路脇のワシントンヤシの植樹や車止め照明ランプシェード設置などに大きく貢献しています。
館山の景観づくりはこれをもってひと段落したことになります。現在のところ指導地域の見直しも含め、新たな景観計画に向けて着々と準備が進められている状況です。今後どのような方向性で進むのかはほぼ白紙の状態だそうですが、計画を煮詰める段階でおそらく市民アンケートが実施されることになるようです。館山をどのような街にしていきたいのか、理想的な街づくりに向けて、一人ひとりがきちんと考えておく必要がありそうですね。
新しく生まれ変わった鏡ヶ浦通り。ここから新しい館山が始まる、そんな気がしませんか?

(取材協力:館山市役所都市計画課、那須町役場建設課)


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