なぜ館山には移住者が多いの?

都会暮らしの閉塞感もあってか、
田舎暮らしを希望する人が急激に増えているそうです。
都心を離れ、海や山など自然豊かな土地を目指す、
その移住先として館山が注目されているのです。
かくいう筆者も最近移住してきた者の一人。
なぜ館山はこんなに人気があるのでしょう?
移住者の声から人気の秘密を探ってみました。

(2012/04掲載:K)

移住者は館山を目指す!

少し古い話になりますが、「田舎暮らし」という言葉がメディアを賑わせるようになったのは、1990年代だったように思います。未曾有の好景気に包まれ、大量生産、大量消費がよしとされる風潮が延々と続きました。世に言うバブル時代。ご存知のとおり、その時代は泡がはじけるように突然消え去り、不景気の時代へと突入したわけです。人々はここで「お金」を追い求め続ける張り詰めた生活を見直し、「ゆとり」ある生活を目指しました。これが田舎暮らしブームの始まりです。
ここで少し「移住」と「引っ越し」の違いについて考えてみましょう。辞書を引くと「移住」とは「他の土地へ移り住むこと」。移住と引っ越しの境界線はきわめて曖昧なのですが、ここでは「都会から田舎への引っ越し」、それも仕事の都合や短期的な滞在ではなく、あくまでも自分の意志で、ある程度の覚悟をもって居を移すこととさせていただきます。つまり、移住者とは都会から田舎へ覚悟をもって引っ越しした人、ということになります。
そうした場合の移住先として、館山はかなりの人気があるようです。まずは館山に移住した皆さんに話をお聞きして、館山のどこに魅かれたのかを探ってみることにします。

中屋勝義さんの場合

中屋勝義さん

東京で会社を経営していた中屋さんは釣り好きが高じてリタイヤを機に館山に移住。館山を選んだのは父親の縁があったから。東京の家は売り払い、館山市内の八幡神社近くに家を購入しました。移住当初は毎日のように釣りに出かけていましたが、なぜか数年で興味をなくしてしまったといいます。
次にのめり込んだのが農業。1年間ほど農業団体が主催する講習会に参加して技術を学び、自宅から少し離れた場所に畑を借りました。自然農法による野菜作りを目指し最終的には150坪ほどの畑で40種ほどの野菜を育てていました。作物は朝市などで販売していましたが、手仕事での畑はこの広さが限度。商業的にやるには規模を拡大したうえでの機械化が必要になりますが、そこまでの覚悟ができなかったこともあり、農業は6年間ほどでやめてしまいました。そのころ始めたのがイラストです。最初は朝日を浴びる蜘蛛の巣や、害虫の絵を書いていたそうです。
畑をやめてからは博物館の仕事を手伝うようになります。神社やお寺のイラストを描いたところ評判になり、これまでに神社やお寺のほか、祭りや山車、神輿、さらには館山に残る戦争遺跡など多くの作品を描きました。移住してから開花したイラストの才能。今後はこれらの作品を出版する計画のほか、ガイドサービスや体験施設の運営などの構想をもっており、着々と準備を進めていらっしゃいます。ここ館山での第2の人生はまだまだ忙しくなりそうです。

亀谷美紀さんの場合

亀谷美紀さん

ミキティの愛称で親しまれる亀谷さんと南房総との出会いは20年以上も昔。白浜にあるリゾートホテルへ、夏のアルバイトに訪れたのがきっかけでした。白浜の海と太陽とホテルのスタッフたちが気に入り、それから毎年、夏になると白浜を訪れるようになります。8年目からは正月も来るようになり、夏と冬の季節アルバイトの白浜通いは14年ほどになりました。館山通いと並行して、稚内、石垣島、伊勢志摩などのリゾートホテルで働いたこともあり、生活のために渡米した経験もあります。
それから白浜に移住することになるのですが、きっかけは些細なことでした。地元広島で体調を崩し、気持ちが塞いでいたときに頭に浮かんだのが白浜の海だったのです。季節ごとに通うのではなく本格的に白浜に住むことを思い立ち、社員になることを勧めてくれていた上司に電話。就職の話はすぐにまとまり、白浜に越してきました。幸いにも、住む場所、仕事、気の合う友人など、移住に必要な要素は最初からすべて満たされていたそうです。移住について、この地域の魅力についての問いに次のように答えてくれました。
「私の場合、移住は何の気負いもなく進んだので本当に幸運でした。館山を含めた南房総地域はうまく言えないけど、ラクに呼吸ができる場所と言ったらいいかな。海と太陽が身近に感じられる場所、そして住む人の心が温かい場所。そんな場所だと思います。」
長年勤めたホテルは昨年退職し、今は新しい生活に向けての準備期間中だそう。「人の心に土足で入り込むのが得意」と友人に軽口を叩かれるほど社交的なミキティのこと。今後もこれまで以上に館山の生活を満喫してくれそうです。

山崎さんご夫妻の場合

山崎誠さん、民さん、健太郎君

昨年7月に東京から一家で越してこられた山崎さんご夫妻。館山市南端近くにある相浜という集落でパン屋を営んでいます。ご夫妻はいずれも両親の仕事などの関係で日本各地に住んだ経験があり、移住先はかなり広範囲に探したといいます。鴨川や小豆島なども候補に挙がっており、共通しているのは暖かい土地であることと行政などの移住相談窓口があること。最終的に館山に決めたのは、地域に溶け込んでいる先輩移住者の生活ぶりを実際に目にすることができたのが大きかったそうです。移住先を館山に絞ってから家探しを始めましたが、パン屋を開くために改装できる賃貸物件はなかなかみつからず、2年間ほど費やしたのちに中古住宅を購入。一部を改装し昨年11月に「富崎ベーカリー」をオープンしました。移住を考え始めた当初、誠さんは就農を目指していましたが、自家製酵母を研究しているうちにパン作りが面白くなり、結局ご夫妻でパン屋をきりもりすることになりました。
館山での暮らしは東京でのそれとは180度違うもの。夜の暗さと静けさは東京では考えられなかったことで、魚や野菜などをいただく機会が多いことから食費は大幅に減ったといいます。移住前は地域に溶け込めるかどうかが心配でしたが、そんな不安はすぐに吹き飛びました。今では知り合いも増え、すっかり地域に溶け込んでいる様子です。「地域の人に子育てしていただいている感じ」という民さん。「皆さん何かと気にかけてくれるので、居心地はいいです」とは誠さん。パン屋の売り上げも順調に伸びているそうで、新生活の滑り出しはまずまずといえそうです。
明るい人柄のご夫婦と健太郎君の3人暮らし。館山の生活はまだ始まったばかりですが、海辺での田舎暮らしを存分に楽しんでいるようです。
(富崎ベーカリーの詳細情報は記事の最後に掲載しています)

東洋平さんの場合

東洋平さん

たてやまGENKIナビ地域レポーターとして活躍する東さんも移住者の一人です。学生時代から音楽活動を続けていた東さんの移住は、レコーディングのために館山に通ったのがきっかけでした。館山の人や自然に触れるうちにこの土地を気に入り、軽い気持ちで移住を決めたそう。音楽を学びたいということもあって、卒業後すぐに友人と2人で館山に越してきました。広い一軒家をシェアして始まった館山の暮らし。音楽も学びつつ、草刈りや民宿の手伝いなどさまざまなアルバイトを経験することになります。切り詰めれば月8万円ぐらいの収入があれば暮らせたそうで、半年間ほどアルバイトで食いつなぐ「その日暮らし」を楽しみました。
地域レポーターとしての仕事がみつかったのは「かなり幸運だった」という東さんは、館山での暮らしをどう感じているのでしょう。
「自然は豊かだし、地元の人たちもみんな温かい。住むには最高の場所だと思います。若者世代の移住は、家族での移住に比べるとハードルが低く、軽い気持ちで越してくることも可能です。就職事情は厳しいですが、アルバイトはたくさんあるので、生活するだけならそれほど困ることもないでしょう。まずはアルバイトをしながらじっくりと職を探すのも一つの方法かもしれません。」
一方で、仕事を与えてもらうのではなく自分で作りだす必要性も感じており、特に農業分野での可能性にも注目しているそう。将来的には社会起業家を目指すという東さん。今後も地元のイベントに積極的に関わるなど、地域の役に立つ仕事を続けていきたいと話します。

豊かな自然と利便性、館山はそのバランスが絶妙

移住者が話す館山の魅力にはいくつかの共通点があります。豊かな自然があること以外でまず目につくのが「利便性」です。
館山市は人口5万人足らずの町。房総半島の南端近くにあり、悪くいえば「どんづまり」の場所にあります。とはいえ、かつては地域の中心的役割を担っていた時代もあったほどで、駅周辺や館山バイパス沿いには商業施設が並び、近隣からも多くの人が買い物に訪れています。いわば、現在も商業的には南房総地域の中心的役割を果たしているといってもいいでしょう。ある程度の買い物は館山市内でこと足りますので、それは大きなポイントのひとつといえそうです。
次に東京との距離が挙げられます。館山に移住した人の多くは東京を中心とした首都圏を拠点に生活していた人たち。親兄弟、親戚、友人たちの多くは首都圏に住んでいるので、あまり首都圏から離れすぎると行き来が大変になってしまいます。館山から首都圏へはJRのほか、高速バスが東京駅、横浜駅などを結んでいます。東京駅までは最短でわずか1時間30分。昼間は2時間以上かかることもありますが、日帰りの往復はもちろん、毎日の通勤だって無理すればできない距離ではありません。

それでいて、少し街を離れれば豊かな自然が残っています。西と南を囲む海は澄んでいて、昔ながらの里山の風景もあちこちに見られます。都心との距離と自然の豊かさ。そのバランスが絶妙に噛み合っているのが、館山の最大の魅力なのでしょう。
豊かな自然とはいえ、山はそれほど深くなく、海は見た目の美しさでは南の島のサンゴ礁の海にはかないません。街も日常生活に不便を感じることはなくても、都会の品揃えには到底及びません。ともすれば「中途半端」とも言えますが、この間口の広さ、懐の深さは他の土地にはない魅力です。そういう意味では「田舎暮らしの初心者向き」の土地といえるかもしれません。

幅広い年齢層に支持される土地

鏡ヶ浦の夕景

ひとことで「移住者」といっても大きく分けると3つのタイプに分けられます。まず第1に定年退職後の第2の人生を田舎で過ごそうとする人たち。都心で働く人のなかには老後は田舎でのんびり暮らしたいという人がかなりの割合でいらっしゃいます。都心との2拠点生活をされる方も多く、共通していえるのは経済的には比較的ゆとりがあるということ。生活費は貯蓄や年金などで賄えるので、館山には働く場所を求めてはいません。家庭菜園や釣り、ゴルフなどの趣味三昧の生活を送ることができ、少し文化的な生活が恋しくなったら時々都心に出る。そんな生活で日々楽しく過ごしていらっしゃる方が多いようです。
次に子育て世代の移住者。子供は未就学児や小学校の低学年のうちに移住する人が多いようです。彼らは生活の重きを「教育」に置いている場合が多いのですが、彼らの求める教育とは子供たちをガチガチの受験戦争に放り込むことではなく、豊かな自然のなかで子供らしい感性を養わせるということ。田舎で育った子供たちは、こと学力に関しては都会で塾通いの毎日を送る子供にはかなわないかもしれません。それでも自然を身近に感じながら育つことで、学力だけではない何かが養われるはずです。
そしてもう一つのグループが若者たち。釣りやサーフィンなど趣味が高じて移住する人もいれば、農的生活に憧れてこの地を目指す場合もあります。共通して言えるのはフットワークの軽さと「この土地で何か新しいことをしたい」という思い。都心で安定した収入を得ること以上に、この土地がもつ何かを感じ取っているのでしょう。若い彼らのパワーが、館山に少なからずの影響を与えているのは間違いないようです。

移住を支援します! NPO法人「おせっ会」

おせっ会理事長 八代健正さん

このように移住者に人気のある館山ですが、この街に移住した人たちの多くがお世話になっているのが移住支援団体「おせっ会」です。行政とも連携しつつ「空き家バンク」を立ち上げたり「移住体感ツアー」を実施するなどその活動は精力的。また、常時移住相談にも応じており、館山への移住を考える人たちにさまざまな情報を提供するとともに、多くの人たちを迎え入れてきました。まさに、縁の下の力持ち的存在といってもいいでしょう。今回は理事長である八代健正さんに、館山の移住の現状をお聞きしました。
そもそもこの活動を始めたのは「このままでは館山はダメになる」との思いからだったそう。他の地方都市同様ここ館山でも少子高齢化が進んでおり、特にかつての漁村地域においてはこのまま放っておくと数十年後には地域ごと消滅してしまいそうな状況です。それを打破するには子育て世代を呼び込むこと。それによって「年齢のバランスが取れたコミュニティが復活するはず」とおっしゃいます。最初は個人的に活動していましたが、商工会議所青年部の会合で話したところ思いのほか反響があり、2009年にNPO法人として発足しました。現在は理事16名、会員数70名ほどで運営されています。

圧倒的に多いのが子育て世代、最近は若者の相談も増加

「おせっ会」はこれまで多くの人たちの移住相談を受けてきましたが、圧倒的に多いのが子育て世代からの相談だといいます。移住を考える際に一番考えなくてはならないのは「住居」と「仕事」、さらに子育て世代だとこれに「教育」が加わります。子育て世代は、他のどの世代よりも考えなくてはならないことが多いこともあり、誰かに相談する必要性が高いのでしょう。
それが最近、特に3.11の後は未婚の若者からの相談が増えたといいます。あの大参事によってそれまでの価値観がどこかで崩れ去り、生活スタイルを見直すきっかけになったのかもしれません。移住への思いを語る彼らは一様に「何かをしたい」という希望に満ちているそう。リーマンショック直後は経済的に都会で生活できなくなった人からの相談が一時的に増えたこともありましたが、その現象とは一線を画しているようです。
この活動をしていていちばん嬉しいのは、移住してきた人たちが楽しく生活している姿を見ること。いちばん悲しいのは、彼らの辛そうな姿を見ることという八代さん。これまで移住してきた人たちのなかにも、地域とうまくいかなかったり、経済的に立ち行かなくなったりで移住そのものを断念した例が少なからずあるそうです。そんなこともあって、現在「おせっ会」ではすべての移住希望者に「計画シート」を記入していただくことにしています。これによって「移住後のライフスタイルをイメージすることができ、移住の是非の判断材料になると同時に自分たちの覚悟のほどを再確認できる」といいます。

超えるべきハードルの数々、移住を手放しで喜べない事実も

移住相談を受けて感じるのは、多くの方が間違った印象をもってらっしゃるということだそう。例をいくつか紹介してみましょう。
まず多いのは生活費について。田舎暮らしは生活費が劇的に安くなるというイメージが強いようですが、実際に安くなるのは住居費のみ。野菜や魚などをいただく機会が増えると食費も多少抑えられますが、日用品の値段や水道光熱費はむしろ都会よりも高い場合もあります。
また、都会の生活は経済的に苦しいが田舎ならなんとかなると思っている人も多いようです。これも大きな間違いで、仕事は圧倒的に都会の方が多く、収入面では都会には到底及びません。これは館山出身の若者が仕事の都合でやむなく故郷を離れていくことを考えると容易に想像がつきます。
最近では、移住者へのアドバイスとして「移住の目的を見失わないための計画性」を強調しているそうです。たとえば、農業をやるために移住してきたつもりが、生活費のためにアルバイトに明け暮れる。のんびり暮らそうと移住したものの収入が低いのでかけ持ちで仕事するようになり、自由時間はむしろ減ってしまったなど。これでは本末転倒です。こちらでの生活を確立しようとすると「仕事」は避けては通れない重大な要素であり、それが移住を断念する一番の要因にもなっています。
「おせっ会」としても今後は「仕事がない」状況を伝えるだけではなく、仕事の提案もできるような団体にしていきたいとの思いが強くなっているそう。とはいえ、観光以外の大きな産業がなかなか育たない館山にあって雇用を生み出すのは容易ではありません。そんな八代さんが提案するのが「片手間型多角経営」。片手間というと印象が悪いかも知れませんが、簡単にいうと「空いた時間を利用していろいろなことでお金を稼ぐ」ということ。「そういったビジネスモデルを構築できれば移住者はもっと増えるはず」と、八代さんは熱く語ります。

究極の安らぎ生活を目指して

これまでの話から、良くも悪くも「館山に移住する」ということが見えてきたような気がします。もちろん乗り越えるべきハードルはたくさんありますし、必ずしも楽しいことばかりではないでしょう。それでも、ざっと周りを見渡してみると、移住した人たちは実に生き生きと毎日を暮らしていらっしゃいます。
私ごとながら移住者の一人として、館山での生活の魅力を紹介させていただきましょう。
まず野菜と魚がおいしすぎること。鳥の鳴き声や風や空気から季節の移り変わりを実感できること。陽が昇り沈む様子を目の当たりにできること。静寂のなか満天の星空を眺められること。また、地域と自分との関わりは都会では考えられないほどに強く、希薄な人間関係に慣れた自分にとっても居心地は悪くありません。いつものように当たり前に過ぎてゆく時間さえもが濃密で、毎日ワクワクしながら生活しています。生活そのものが楽しいといっても言い過ぎではありません。
得るものと失うもの、これらを天秤にかけてみて、得るものが少しでも多いならば思い切って移住してみるのも悪くない選択かもしれません。そう思い立ったらまずは「おせっ会」に連絡を。「館山暮らし」の現状について、的確なアドバイスをいただけるはずです。また、今後もさまざまなテーマで移住体験ツアーを実施予定です。詳細は下記ホームページにて順次発表します。お楽しみに。

NPO法人「おせっ会」

富崎ベーカリー

移住して2011年11月にオープンした自家製酵母のパン屋さん。パン屋の立地としては決して有利な場所とはいえないものの、地元を中心にすでに多くのリピーターを獲得し滑り出しはまずまず。

住所 館山市相浜254
電話 0470-28-0221
営業時間 月・木・金曜10:00~16:00

 


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