なぜ平砂浦を訪れる人が増えているの?

白砂青松の平砂浦海岸

館山市の南西側、洲埼灯台から布良にかけて5キロほどの砂浜の海岸線、
それが平砂浦(へいさうら)海岸です。
日本の道路100選の「房総フラワーライン」に沿った弓なりの自然海岸であり、
白い砂浜とクロマツの林から「日本の白砂青松 (はくしゃせいしょう)100選」にも選ばれています。
昔からサーファーや釣り人には馴染みの深いこの海岸ですが、最近ではウォーキングに訪れる人も増えており、少しずつですが知名度は上がってきているようです。
ところが最近ちょっと気になるのが枯れた松林。
いったい何が起こっているのでしょう?
今回は平砂浦について調べてみました。

(2012/05掲載:K)

平砂浦の歴史は砂との戦いの歴史

青々とした松林

真っ青な海、延々と続く砂浜、そして背後の松林。海岸線と並行に走る房総フラワーラインにはゴルフ場やペンションが立ち並び、南房総の観光拠点のひとつとして多くの人々が訪れています。今でこそ「日本の白砂青松 100選」にも選ばれるほど風光明媚な平砂浦ですが、じつはここにいたるまでには地元の人々のさまざまな苦労がありました。それは砂との戦いの歴史でもあったのです。
南房総地域は他の関東地方同様、これまでに幾度となく巨大地震に襲われています。そしてそのたびに大規模な海底の隆起が起こり、館山の海岸線は大きく様相が変わりました。特に大きな地震としては元禄16年(1703)の元禄地震、安政2年(1855)の大地震、大正12年(1923)の関東大震災などがあり、ここ平砂浦でも津波などによる大きな被害が出たと同時に、海底の隆起によって海岸には広大な砂原が出現しました。この砂原の砂は西から吹きつける冬の季節風によって内陸へと運ばれ、形成された移動砂丘は少しずつ耕作地を飲み込んでいったのです。
村の農家の人たちは、最初は小さな竹などで柵を作っては砂を防いでいましたが、押し寄せる砂にはまるで効果はなかったようです。やがて、川を利用して大雨の時に砂を流す「砂流し」が村人総出で行われるようになり、それでも間に合わなくなった明治初頭には河川を堰き止めて水路を掘ることが考案されました。ところが、この水路を作るには莫大な費用がかかることから計画はいったん中止の憂き目に。それから十数年の歳月をかけて明治半ばにようやく完成します。しかしこの水路も、放っておくとすぐに砂に埋没してしまう状況。そこで竹を編んだ籠を少しずつ沈めて「ずい道」を作り、それを利用して砂を流す方法が考案されました。この方法は成功をおさめ、少しずつ地域一帯に広まっていきました。
そして大正10年(1921)、県の指導によって5カ年計画による砂防林の造成が着手されることになります。この砂防林は一定の成果があり、村の名所にまでなったといいます。
ところが戦争勃発によって状況は一変します。館山は地理的には首都防衛の要だったこともあり、昭和15年(1940)から平砂浦海岸は海軍用地として使用されることになったのです。館山海軍砲術学校の演習場として太平洋諸島での上陸作戦の訓練が行われ、その際にこの砂防林はすべて刈り払われてしまいました。

平砂浦砂防林造成記念碑

戦後まもなく、地域の力による砂防林の造営が試みられましたが、少ない資金と技術力ではうまくいかず県に陳情。県はこれを受けて現地調査を行い、昭和24年(1949)から県の直営による工事を実施することが決定しました。工事の主眼は「移動性砂丘を固定する」ことに置かれ、最初は国有地を約30ヘクタール、次いで約50ヘクタールの用地を県が買収し着工されました。当時の海岸砂防造林事業の第一人者である河田杰博士の指導により、埋めわら、敷きわらを行ったうえで、クロマツとグミが植えられたのですが、難航する工事によって当初計画よりも期間も予算も大幅に増大したそうです。そして昭和33年(1958)、念願の砂防林はついに完成しました。現在見られる立派な砂防林の背景には、このような苦難の歴史があるのです。

(参考資料:『平砂浦砂防史』昭和33年千葉県農地農林部林務課発行)

サーフィンの名所としての平砂浦

サーファーと富士山

こうして完成した砂防林は美しい景観を作り上げましたが、風景の美しさだけが平砂浦の魅力ではありません。たとえばサーフスポットとしては古くから有名で、現在も多くのサーファーたちが訪れています。これまでは、単なるサーフスポットでしたが、2010年からはNSA(日本サーフィン連盟)公認のサーフィン大会も開催されるようになり、その知名度は確実に上がってきています。
サーフィン大会の仕掛け人はNPO法人 平砂浦コースタルビジョン。2010年、2011年とそれぞれ2つの大会を誘致し、今年もすでに1つの大会の開催が決定しています。平砂浦のサーフィン事情について理事長の粟田和幸さんにお話を聞いてみました。
サーフィンはもともと自然のなかで行われるスポーツなので、そのための施設というのは特に必要ありません。それでも全国のサーフスポットを訪ね歩いてみると、ポイントの近くに駐車場やトイレ、シャワーなどの施設が整っているところが多く見受けられるようになり、ひと昔前に比べると随分便利になったといいます。これはつまり、地域や行政がサーファーの訪問を歓迎するようになったことの表れでもあり、そういう意味からすると平砂浦にはもう少しこれらの施設があってもいいと感じているそうです。平砂浦コースタルビジョンではサーフィンを軸にした町おこしや青少年の育成などを考えており、NSAの大会誘致もその活動の一環となります。

サーフィン大会本部

現在のところ1つの大会の訪問者数は選手や観客を合わせても500人程度ですが、さらに多くの人が訪れてくれるよう、大会そのものを盛り上げる工夫をしていく予定だそうです。また将来的には、子供たちに海との付き合い方や安全性を教える「サーフアカデミー」の創設などを通じ、今以上に海を教育の場として活用できるような取り組みも検討しています。

釣りやウォーキングも

海岸の釣り人

サーフィンだけでなく、その遠浅の海岸は釣りのスポットとしても人気です。以前からシロギスなどの投げ釣りポイントとして知られていましたが、近年ではルアーフィッシングも盛んになり、冬のヒラメや夏のマゴチを筆頭に、スズキやショゴ(カンパチの子供)、ワカシ(ブリの子供)などを狙う釣り人が大勢訪れています。特に大潮の満潮時間帯と朝まづめが重なる週末には海岸線には多くの釣り人が並びます。

海岸沿いの遊歩道

また最近では、ウォーキングを楽しみに訪れる人も増えています。フラワーラインから海岸へは館山ファミリーパークや南房パラダイス、いこいの村などの各施設の前から海岸へ抜ける遊歩道が延びており、松林の先には広々とした砂浜が広がっています。海へと流れ込む川を迂回するために部分的にフラワーラインに架けられた橋を渡る必要がありますが、ほとんどの場所で海岸線や背後に設けられた土手の上を歩くことができます。冬から春にかけては旅行会社などが主催するウォーキングツアーも少しずつ増えてきており、今後ますます人気が出ることが予想されます。

海辺に咲くハマヒルガオ

浜辺には四季折々の海浜植物の花が咲き誇り、もちろん貝殻拾いなどのビーチコーミングも可能です。ちょっとした空き時間に散歩するだけでもいいですし、半日、1日コースを設定して歩いても楽しめます。自分のペースで平砂浦ウォーキングを楽しんでみてはいかがでしょうか。

枯れた松が目立つのは…

枯れた松林

このように平砂浦はさまざまな人たちに愛され、年間を通じて多くの人が訪れるようになりました。この松林は砂を防ぐ以外にも防風、防潮作用をもつ保安林であると同時に、人々に癒しを与える保安林でもあります。ところが最近、この砂防林に異変が起きています。何やら元気がないのです。フラワーラインから眺めるだけでも一目瞭然なのですが、一歩林に足を踏み入れてみるとその異変にすぐに気づくはずです。そう、松が枯れているのです。
これは、現在千葉県のみならず日本各地の松林で問題になっている「松くい虫」の被害によるもの。この松くい虫とはどのようなものなのでしょう。実は、松くい虫という虫は存在せず、松に直接作用しているのは「マツノザイセンチュウ」という長さ1ミリにも満たないセンチュウの仲間。このセンチュウが繁殖した木はわずか1年で枯れてしまうのです。詳しいことは分かっていないのですが、松が水を吸い上げる仮道管を詰まらせるのが原因ではないかと言われています。このセンチュウは自力で他の松へと移動することはできませんが、このセンチュウを健康な松に運んで被害を拡大させているのがマツノマダラカミキリという昆虫です。
ではそのメカニズムを簡単に解説してみましょう。

1 カミキリ飛翔
春から初夏にかけて、マツノマダラカミキリは成虫になり幼虫、蛹時代を過ごした木から脱出し健康な松へと移動。マツノザイセンチュウは飛び出す前のカミキリの体に乗り移る。
2  センチュウ侵入
5月~7月ごろ、成虫となったカミキリは健康な松へと飛び移り若い枝の樹皮を食べる。この際カミキリの体にいたセンチュウが松のかみ傷から木の内部へと侵入。
3 松枯れ
松に侵入したセンチュウは驚くほどのスピードで繁殖。松を急激に弱らせ枯らしてしまう。
4 カミキリ産卵
センチュウによって弱った松がカミキリの産卵の場。夏になると樹皮に産卵管を差し込み内部に産卵。
5 枯れた松で幼虫越冬
松の内部でふ化したカミキリの幼虫は夏の終わりから秋にかけて松を食べながら成長。そのまま越冬し木の中で蛹になる。
1 カミキリ飛翔に戻る

マツノザイセンチュウに侵された松

いかがです? この見事な共生関係。マツノザイセンチュウはマツノマダラカミキリによって他の松の木へと運んでもらうことができ、マツノマダラカミキリはマツノザイセンチュウが枯らしてくれるおかげで産卵できる松を簡単に見つけることができるのです。現在、センチュウが繁殖してしまった木を救う方法は見つかっておらず、対策としては予防と駆除ぐらいしかありません。今後この平砂浦はどうなっていくのか、林を直接管理している南部林業事務所にお邪魔して現状と対策について伺ってみました。
まず、平砂浦で松枯れ被害がここまで深刻化したのは昨年のことだそう。場所にもよりますが、30%~70%ほどの松がわずか1年で枯れてしまいました。被害量は前年度の約10倍となっており、状況は思った以上に深刻です。
今後の対策としてはまずは駆除が挙げられます。これはすでに着手されていますが、被害木を切り倒して細かく破砕することで、木の中にいるカミキリの幼虫や蛹を殺すというものです。そして初夏には予防策としての薬剤散布が計画されています。これは健康な松に薬剤を散布することで松に飛来したカミキリを殺すのが目的です。
その後の方針は、上で挙げた防除の効果を見たうえで検討することになりますが、現在行っている被害木討伐駆除を行った跡地の状況によっては植栽などの早急な対応が必要になってきそうです。

地域でできることを考える

遊歩道入口

このように、あっという間に拡大してしまった松くい虫の被害。まだ成り行きを見守る必要がありますが、この保安林を復旧するためには新たな植樹や植樹した苗木を育てるための下草刈り、つる切りなどのさまざまな作業が必要となることは想定しておかなければなりません。松林の再生には莫大な費用と人出がかかり、長い年月も必要です。既に松林の再生事業が始まっている他地区の保安林では、企業などが名乗りを上げ民間が協力しての再生が行われているという事例があります。
平砂浦についても同様で、松枯れ被害がどのような形であれ収束した次には、植樹やそれに伴う長期間にわたる作業のための費用や人出の負担をどうするかが問題になってきそうです。場合によっては行政だけでは到底賄いきれないので、我々市民が何かを負担することになるかもしれません。たとえば、苗木は行政で負担して植樹は市民の手で行うなど。いろいろな方法が考えられますが、平砂浦再生に市民の協力は不可欠となりそうです。
市民の参加・協力が必要となった場合には取りまとめ役がどうしても必要になりますが、たとえば上述のNPO平砂浦コースタルビジョンでは、地域の住民主導による再生の方法を模索しています。砂防林としての機能を維持しつつ、さらなる付加価値をもった林の創出。「保養」としての役割、つまり人々が楽しめる場所としての新しい平砂浦の創出です。もちろん林の維持管理には莫大なエネルギーが必要ですし、費用だってかかります。そこを行政とうまく調整できれば、これまで以上に身近な平砂浦が誕生することだって十分に考えられます。
平砂浦を襲った松枯れ被害は、館山にとって大きな損失であることは間違いありません。それでも、新しい平砂浦に向けての一歩踏み出すための大きなきっかけになるのかもしれません。

(取材協力:千葉県南部林業事務所)

NPO法人 平砂浦コースタルビジョン

サーフィン大会の誘致など、サーフィンを通じた地域おこしや環境保全を目的として2011年に設立。サーフィン大会の誘致のほか、定期的に平砂浦のビーチクリーン活動なども行っています。今年度はすでに第3回目となる「平砂浦コースタルフェスタ」の開催が決定しており、平砂浦の利活用をさまざまな角度から考えています。
住所 千葉県館山市大神宮116-5 SURFCO Ocean side内
電話 0470-28-2666

平砂浦コースタルフェスタ(NSA公認大会)

日時
場所 館山市平砂浦海岸
エントリー期間
問合せ先 NPO法人 平砂浦コースタルビジョン

NSA(日本サーフィン連盟)ホームページへ


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