なぜ館山は鮨(すし)のまちなの?

館山は「鮨のまち」と呼ばれます。
ネタもシャリも大ぶりな「房州鮨」を出す店も多く、鮮度抜群な地魚の握りも人気です。
なぜ館山が鮨のまちと呼ばれるようになったのか、その背景を探っていきましょう。

(2011/11掲載:K)

「房州鮨のルーツ」は江戸時代に誕生?

"寿し甚「地魚寿し」<br

館山は「鮨のまち」と呼ばれています。市内全域に寿司屋が点在しており、地元客はもちろんのこと、観光客にも人気の店も数多くあります。彼らのお目当ては地魚をネタに使ったものや、ちょっと大きめサイズの「房州鮨」。館山の寿司を考える前に、寿司の歴史を少し振り返ってみましょう。
まず、寿司の誕生は紀元前にまで遡ります。当時の寿司は魚に米や塩を混ぜて乳酸発酵させたいわゆる「馴れずし」が主流。どちらかというと保存食の意味合いが強いもので、これらは仕込みから食するまで数カ月もの期間が必要でした。現在も馴れずしの文化は日本の各地に残されています。

"巴寿し「おまかせ満足コース」<br

時代が進み「酢」の製造が始まると、発酵させる代わりに「酢」が利用されるようになりました。これが現在の「押しずし」へと発展してゆきます。これらは「早ずし」と呼ばれ、すぐに食べられるというのが大きな特徴です。こういった変遷を経てようやく「握りずし」が世に登場したのです。すでに世界でもポピュラーになりつつある「握りずし」ですが、その歴史は思いのほか新しいものだったのですね。

握りずしの誕生

さて、この握りずし、江戸前の魚を使うことから「江戸前寿司」と呼ばれます。最初は屋台で提供されたようで、江戸時代版ファストフードともいえるでしょうか。立ち食いのスタイルはせっかちな江戸の人たちの気質にもぴったり合い、あっという間にポピュラーな食べ物となりました。小気味よいリズムで握る職人の技に、江戸の人たちは目を白黒させたに違いありません。
「握りずし誕生の物語」

押送船(おしょくりぶね)ではるばる江戸へ。生魚供給地としての役割

押送船(おしょくりぶね)

そんなこんなで幕末の江戸では生魚の需要が急速に増大。館山はその需要を満たすための供給地としての重要な役割を担っていました。近海で獲れた魚は一度館山で水揚げされてから高速の押送船に積み替えられ、江戸に向けて送り出されました。押送船は驚くほど軽量にできており、帆と櫓を巧みに使って条件がよければ館山と江戸をわずか10時間ほどで結んだといいます。こうして館山は生魚の供給地として栄えました。
当時は西日本と江戸とを結ぶ海路の要衝であり、人や物が集まる場所でもあった館山のこと。江戸をならって寿司屋の屋台が出ていたかもしれません。
現在も続く老舗寿司屋のなかにも江戸時代に創業したという店もあります。周囲を良港に囲まれた立地、江戸への生魚供給地としての実績からも、館山は寿司文化が根付くのにふさわしい場所だったのでしょう。

1カンで満腹?昔の握りずしは巨大だった

江戸時代も終わりに近づくころになると、握りずしのスタイルが徐々に確立されていきました。現在のいわゆる「江戸前寿司」と決定的に異なるのはそのサイズ。当時の握りずしは現在の一般的なサイズの4倍はあろうかという巨大なものだったようです。食事というよりむしろおやつの感覚に近かったのでしょう。
寿司の高級化が進むにつれて江戸前寿司はだんだん小さくなっていきましたが、当時の大型握りずしの面影を残しているのが館山でときどき目にすることができる「房州鮨」です。「田舎ずし」と呼ばれることもあるこの「房州鮨」、呼び名自体は最近になって使われ始めた新しい言葉のようですが、ルーツはどうやら江戸前寿司にありそうな気配です。はたして、房州鮨はかつての江戸前寿司の正統派後継者なのでしょうか?

房州鮨のルーツを探る

"鮨匠

ではそのルーツを探ってみることにしましょう。市内のお年寄りや寿司屋のご主人たちへの聞き取り調査などから次のような話が出てきました。
まずは、漁師や水主が船の上で食べた食事が房州鮨の始まりではないかという説。新鮮な魚をおかずに手っ取り早くお腹を満たすには、あらかじめ用意しておいた握り飯に生魚を載せて頬張るのが一番簡単。小さく握る必要などどこにもありません。一時代を築いた南房総の漁法のルーツは江戸時代に移り住んだ関西漁民にありますが、ひょっとしたら彼ら関西漁民が漁の技術とともにこの食べ方も伝えたのかもしれません。

"竹寿司「おすすめ寿し」<br

もう一つは、家庭料理としての握りずしが前身だとする説。この地域では寄り合いなどの際、箱いっぱいに酢飯の握りを作り置きしておき、来客があると別に用意しておいた刺身を載せて供していました。
いずれの場合も、お腹を満たすことに重点が置かれた寿司ですから、握る手間などを考えると大型であるほうが何かと都合がよかったようです。「房州鮨」が「田舎ずし」と呼ばれるのも納得ですね。
残念ながら昔の江戸前寿司と現在の房州鮨とを結びつける文献のようなものはまるで残っておらず、真相は闇の中。いずれにしても、昔から館山の寿司が大きかったことだけは間違いないようです。ルーツはどうあれ、館山名物の1つとして確固たる地位を築いているのですから、この伝統は大切にしていかなければなりませんね。

鮮度が命!館山の寿司がおいしいワケ

"浜すし「地魚ずし御膳」<br

さて、館山の寿司の魅力ですが、もちろん大きさだけではありません。他のどんな地域にも負けないもの。そうです、ネタの鮮度です。朝に水揚げされたものをその日のうちに提供すること。ネタの鮮度が命の寿司にとって当たり前のようですが、この課題をクリアするのが意外に難しい。そもそも寿司というのは魚の水揚げから流通、酢や米の質、職人の腕など、どれか1つが欠けてもおいしいものにはなりません。たとえば、海外に見られる近年の寿司ブームにおいても、一部の都市を除けば舌の肥えた日本人を満足させる店を見つけるのは至難の業です。

旨い寿司の第一条件はネタが一番おいしい状態のときに提供することでしょうか。魚には食べどきというものがありますが、さばきたてものから少し熟成させたものまで、常に一番いい状態のものを提供できるというのは海に囲まれた館山ならではの利点といえるでしょう。たとえば東京近郊の寿司屋の多くは築地市場から仕入れています。日本が誇る魚市場ですから新鮮な魚が豊富に揃うというのは疑う余地のないところ。とはいうものの、築地で競りにかけられる魚のほとんどは前日に水揚げされたもの。東京の寿司屋がいくらがんばっても、築地から仕入れている限りは朝獲れの魚を入手することはかなり困難なのです。館山の場合は、その日の朝に近郊の港に水揚げされたものが午前中に競りにかけられますので、昼過ぎには寿司屋に届くことになります。この1日の違いが大きいのです。

もちろん寿司職人の目利きも重要で、店によっては漁港から直接買い付けている場合や、さらには自ら釣りや漁に出て、納得できるものだけを提供するというツワモノもいます。また、定番の寿司ネタだけでなく、運がよければほとんど外には流通しない近海もののネタをいただけるというのも、館山の寿司の魅力の1つです。珍しい地魚の寿司を食べるためだけにわざわざ都心から足を運ぶ人もいるほどですから。
どこか懐かしい香りのする「房州鮨」と、一期一会の「地魚寿司」。鮨のまちと呼ぶにふさわしい館山の実力をお分かりいただけたでしょうか?

ネタは南房総全域から調達!

寿司だけじゃない!なめろう、さんが、水なます

寿司のほかでは、「なめろう」や「さんが焼き」、「水なます」が房州の郷土料理として知られています。
「なめろう」は、アジのたたきにネギやショウガなどの薬味と味噌を練り合わせたもの。魚のたたき具合によってさまざまな食感を楽しめます。そして、それを大葉で包んで焼いたのが「さんが焼き」、冷製スープ仕立てにしたのが「水なます」です。いずれもアジの代わりにイサキやタカベ、トビウオなどが用いられることもありますが、どれもが美味でご飯がどんどん進みます。お酒との相性が抜群なのは言うまでもありません。
車を運転される方は、ぜひ館山へはお泊まりでおいでください。地元で獲れた新鮮な魚介を肴にお酒をいただく至福のひととき。館山の旅は新鮮魚介の味とともに、思い出に刻みこまれることでしょう。

館山の鮨を元気にします!~館山鮨商組合

全国鮨商組合の時代から数えると30年以上の歴史をもつ寿司屋の組合。現在15店が加入しており、情報交換をやPR活動などを通して館山の寿司のレベルアップに切磋琢磨しています。組合加入店が特に力を入れているのが「地魚握り」と「さんが焼き」。統一された内容ではなく店の独自性を大切にしているため、それぞれの店の個性が前面に出ています。ぜひ食べ比べてみてください。
(記事内で紹介している店はすべて鮨商組合加入店です)




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